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奈良 大神神社

GWの混雑の前にどこかに行きたいな〜と思っていたところ、奈良の大神神社がふと浮かんできていました。
大神神社から山の辺の道を歩いて、狭井神社(病気の神様)、久延彦神社(学問の神様)を参拝し、懐に抱かれたような柔らかな気持ちの良い空気を思い出しました。

前回訪れた時は、JR奈良駅は外国人観光客がとても多くて、万葉まほろば線も大混雑。
さてどうしようかな〜と思っていたところ、奈良出身の人がエムラルを買いに来てくれました。
彼女から奈良駅の混雑回避のホテル情報や近鉄で名古屋まで行く方法など教えていただき、奈良に行こう!ということになりました。

ちょうど狭井神社で4月18日に鎮花祭もあるので、その日の早朝に家を出ました。
早朝だから新幹線もすいているだろうと思ったのが間違いでして、大人の休日クラブが使える「ひかり」号はすべて満席。
「のぞみ」号も3人がけの真ん中の席しかあいていないほど混んでいました。
東海道新幹線は常に混んでいます。
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大神(おおみわ)神社


鎮花祭は、崇神天皇の時代に疫病が大流行した時に、三輪山のオオモノヌシが疫病を鎮められたという。それ以来2000年続くお祭りでスイカズラが供えられ、その飴を販売します。
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三輪山の禁足地にはスイカズラが自生しています。

中沢新一著「アースダイバー神社編」から引用しますと、ヤマトにできた最初の王権は3世紀中頃、卑弥呼による豪族連合権力でありましたが、これが男系による、のちの天皇家の支配になるのは崇神天皇からである。
北部九州からやってきた卑弥呼の豪族連合が、このヤマトを根拠地に選んだのは、そこにオオモノヌシの鎮座する神奈備型の三輪山がそびえていたからである。
武力をもってこの地に入ってきた王権は、「八咫鏡」と言われる大きな銅製の鏡を用いて、光を集め、遠くまで反射させ、さまざまな儀式が行われた。この儀式にたずさわる神女は光のおおもとの太陽のそばにいて、神婚によって、オオモノヌシの霊を誘き寄せ、太陽の子をはらむことになるはずでしたが、不調に終わる。なぜならオオモノヌシは暗黒にすまう神であり、「あらわれ」の回路を通じて自ら光を放ちながら立ち上がる神だからである。

崇神天皇の時代に早くもこの矛盾はあわらになり、疫病が蔓延し、多くの昔からの山麓民が死んだ。
三輪山の祭祀権を山麓民から奪い、鏡を用いる流儀でオオモノヌシをろうとしているから山の神がお怒りになっている。
イズモ系オオモノヌシ思想と神鏡が象徴するヤマト王権はたがいに激しく矛盾しあっていて、ヤマト王権にはオオモノヌシ祭祀をおこなう資格と知識が欠けていた。

そこへ崇神天皇の夢に現れたオオモノヌシからの神託により、自分の子であるオオタタネコを探し、その者に祭祀を行わせよ。さらば疫病はやみ、国が平和に栄えると。




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若宮社 ご祭神 オオタタネコ命(みこと)

オオモノヌシの祭祀権がオオタタネコにうつるとすぐに、昔からの信仰を守ってきた三輪山麓集団が戻ってきた。
祭壇や神殿は撤去され、三輪山そのものをご神体とする古い形態が復活することになった。
山麓民の心とオオモノヌシとが直接に結びあう空間が重要で、そこには現世の権力は入ってくることができない。その後オオタタネコは三輪氏の名を与えられた。

三輪氏と名乗るようになったオオタタネコとその子孫は、三輪山信仰をできるかぎり、古い神道の形に戻す努力をした。三輪神社には鏡の神器を祀った社殿もなく、山そのものが御神体である古層の神道の原型が保たれ、今だに保たれている。これは三輪氏の思想と三輪山麓集団の努力があったからである。
その後、王権の所在地がヤマトから平安京へと移り、勢いが衰えても、三輪氏の子孫と山麓民によって細々と続けられていた。あいかわらず社殿を持たない神籬型が数百年続いていたが、中世が始まる頃大きな変化が訪れた。

平安時代末ごろから「神仏習合」という新しい宗教思想のブームがおこり、伊勢神宮外宮と三輪神社がその中心地となった。神仏習合の思想は、はじめ真言宗の学僧たちによって始められ、その後大きくなっていった。真言宗のおおもとはインドの密教にあり、ヒンズー教の土着の神々を仏教の教えの中に取り込んで、ヒンズーという民族宗教を一段高い宗教に飛躍させた。仏教の仏たちと土着の神々を曼荼羅の中に習合させることで、古層の宗教と新層の宗教を和解させ、ひとつとなって両者をよみがえらせようというのである。この動きは中世アジア全域に展開し、日本では「三輪流神道」とよばれるようになった。

三輪流神道と言われる「神仏習合」は三輪神社から南東の山裾にある平等寺を中心にして発達した。
この場所に慶円という真言系の山岳修験僧が鎌倉時代の初期にいた。慶円は修行中にみたビジョンの中で、三輪明神と対面する体験を持ち、仏教の秘宝と神道の秘宝を互いに贈与交換し、ひとつに合体した神仏習合の思想を生み出した。

引用はところどころ文章を変えていますが、今回の旅行はこの歴史の流れをなぞるような旅になったなあと思います。


旅の話に戻ります。
今回はレンタカーを借りずに、電車で移動をしようと思いまして、奈良から大神神社のある三輪駅までは1時間に一本のJR桜井線で来ました。
駅前の小さなお店を見ながら、神社まで歩いていくのは面白かったです。待ち時間を考えると効率は悪いけれど、車では見落としてしまうような発見がありました。
着いた時は鎮花際が行われていて、製薬会社の方々がたくさんいらして、祝詞が響き渡り賑わっていました。
三輪山のご神水とスイカズラで作られた飴とお札を購入することができました。忍冬と書いてスイカズラです。
この絵に描かれている三つ鳥居は、前回も今回も見ることができませんでした。
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さて早朝から何も食べずに、もうお昼です。三輪といえばそうめん!ところが定休日が多く、ようやく見つけたお店は、
混んでいるのが嫌だと思っていたからでしょうか?お客さんが誰もいませんでした。
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池のそばのお食事どころ

そこから知恵の神様を祀る久延彦神社へ向かいました。『古事記』に世の中の事をことごとく知っている智恵の神様と記されています。
山の辺の道を歩いて元伊勢の桧原神社まで行こうかとも思いましたが、結構距離があります。翌日吉野で出会った方に、山の辺の道を全長歩かなくても、特に景色が良い道の行き方を教えていただくことができました。今回は行く時間が取れませんでしたが、次回の楽しみです。このように今回の旅は、ガイドブックには書いていない地元の方の情報がはいってきます。
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三輪山の正面に願い事を書いた絵馬を飾るところがあります。

お参りをすませ、終わり始めた桜を見ながら歩いて三輪駅まで行きましたが、電車は行ったばかり。
どうしようかな〜と思っていると、平等寺の看板がありました。ここから700メートル上るとあります。
そういえば慶円上人がいたと本に書いてあったなと思い出しまして、とぼとぼ歩いて行くことにしました。

続く



by kisan35 | 2024-04-21 11:25 | 旅行