春は花の香りと共に訪れを告げてくれます。
朝から雨。春分を境に、冬の冷たい雨から春雨に変わった今日、
一雨ごとに春になる喜びの雨のようです。
2か月春休みで帰省していた息子が帰り、夫も楽読に行くのでいない。
ひとりの雨の昼間は、とっても久しぶりで、朝から醤油を仕込むために大豆を煮ています。
湯気で曇る窓ガラスと大豆の甘い香りが部屋中にします。
老犬はそばにいるので、誰かの息遣いが身近にあるので、厳密ではひとりではないかもしれません。
よしもとばななさんの本「王国」「アナザーワールド」全4巻を読み終えました。
こんな雨の日にぴったりの本で、生きるのが嬉しくなります。

絵がすてきです!そして、続いていく事の意味みたいなものを感じました。
人は死んでも、その人の思いのかけらは、どこかで引き継がれているものなんですね。
ほっとする瞬間が、大豆の香りに包まれて訪れました。
そして、ばななさんとはつながりはありませんが、すごく近いものを感じました。
それが本になっているって、とってもすてきなことです。
よしもとばななさんの本を読んだのは、つい最近ですが、
はまって、はまって、図書館でたくさん借りてきて、
読める時間と読めない時間があって、一人孤独感に浸っている時に読むと、かなりじ~んときます。
お彼岸のころっていろいろ変化がありますが、
特に春分の日を境にした今頃は、毎年いろいろなイベントがあります。
一番苦しかったのは3年前です。あの事故と自分におきた事故。
自分を守るために、若いころはいつも三角形のように突き刺さるようなとげを持って生きて来て、
3人の子供を育てているうちに、四角形になりました。
今年の春分の日を境に、それが六角形になった気がしました。
丸くなったというより、角がすこしづつとれてきた感じです。
よしもとばななさんの本に出会った力が少なからずあると思います。
三角でも四角でも六角形でも、
中心にはちゃんと円があって、それが自分だと思うのですが。
三角の時は、それはあきらめだと思っていたけれど(鋭角)
丸くなる方が生きるのが楽で、自分を傷つけないのが分ったのはヨガのおかげかもしれません。
ヨガの先生が、いつも
自分の身体の動きに合わせて、ここを直そうって思ったら腹式呼吸で吐きかける。
イメージが大切なのよって、もう7年間言われていて、ようやく理解できたかもしれません。
自分の身体の声に耳を傾けて、いいも悪いもなくて、
時間が流れていくから、自分の魂(心)を大切にしていくのが、
人生なんだろうなって思いました。
鋭角で生きるのが、自分を傷つけることに気がついたのね。
丸くなるのは、あきらめではなくて
自分を傷つけな生き方なんだ!
嫌な事や、とがった先に突き刺さる事にとらわれちゃうと、それが肥大化してイメージが膨らみすぎるけれど、
本当は、長い人生の中でいいも悪いもないなら、ただ起こっているだけで、
意識を、ヨガの先生の言うマニプーラチャクラ(丹田)にもっていくこと。
空気を吸って、吐いて、横隔膜を動かして、
自分は、生きているって感じることが、これからも大切なように思いました。
よしもとばななさんの本にこんなにもひきつけられたのは、
本の主人公は、すごく周りの調和を保つ才能があって、素敵ですが
その主人公の母親は、私にそっくりなのですね。
思ったことが、相手がどう感じるか分らずに、全部口から出ちゃうとか。
言葉は言霊だって、本当の意味で分かるようになってきたから、
話すときは相手の立場で考えなくちゃって思うようになってきたら、
話さない沈黙でもいいかなって思えてきて、四角が六角形になった気がしています。
別に言わなくてもいいんだなあ。
そのさじ加減が少し理解できました。
そんな不器用な、おそらくは人間でいるのが結構きついと思う種族は、
人間だからこそ、言葉で言い合おうって思っている思い込みがなくなって、
植物みたいでも伝えることができるんだってなんとなく安心したのです。
みんな丸がいいって思っているかもしれないけれど、
死んだら丸になるかもしれないけれど、
生きているうちは三角も楽しいと思う。
それはエゴではなくて、その人がこの世に生れてくる意味だと思うのです。
朝から雨。春分を境に、冬の冷たい雨から春雨に変わった今日、
一雨ごとに春になる喜びの雨のようです。
2か月春休みで帰省していた息子が帰り、夫も楽読に行くのでいない。
ひとりの雨の昼間は、とっても久しぶりで、朝から醤油を仕込むために大豆を煮ています。
湯気で曇る窓ガラスと大豆の甘い香りが部屋中にします。
老犬はそばにいるので、誰かの息遣いが身近にあるので、厳密ではひとりではないかもしれません。
よしもとばななさんの本「王国」「アナザーワールド」全4巻を読み終えました。
こんな雨の日にぴったりの本で、生きるのが嬉しくなります。

人は死んでも、その人の思いのかけらは、どこかで引き継がれているものなんですね。
ほっとする瞬間が、大豆の香りに包まれて訪れました。
そして、ばななさんとはつながりはありませんが、すごく近いものを感じました。
それが本になっているって、とってもすてきなことです。
よしもとばななさんの本を読んだのは、つい最近ですが、
はまって、はまって、図書館でたくさん借りてきて、
読める時間と読めない時間があって、一人孤独感に浸っている時に読むと、かなりじ~んときます。
お彼岸のころっていろいろ変化がありますが、
特に春分の日を境にした今頃は、毎年いろいろなイベントがあります。
一番苦しかったのは3年前です。あの事故と自分におきた事故。
自分を守るために、若いころはいつも三角形のように突き刺さるようなとげを持って生きて来て、
3人の子供を育てているうちに、四角形になりました。
今年の春分の日を境に、それが六角形になった気がしました。
丸くなったというより、角がすこしづつとれてきた感じです。
よしもとばななさんの本に出会った力が少なからずあると思います。
三角でも四角でも六角形でも、
中心にはちゃんと円があって、それが自分だと思うのですが。
三角の時は、それはあきらめだと思っていたけれど(鋭角)
丸くなる方が生きるのが楽で、自分を傷つけないのが分ったのはヨガのおかげかもしれません。
ヨガの先生が、いつも
自分の身体の動きに合わせて、ここを直そうって思ったら腹式呼吸で吐きかける。
イメージが大切なのよって、もう7年間言われていて、ようやく理解できたかもしれません。
自分の身体の声に耳を傾けて、いいも悪いもなくて、
時間が流れていくから、自分の魂(心)を大切にしていくのが、
人生なんだろうなって思いました。
鋭角で生きるのが、自分を傷つけることに気がついたのね。
丸くなるのは、あきらめではなくて
自分を傷つけな生き方なんだ!
嫌な事や、とがった先に突き刺さる事にとらわれちゃうと、それが肥大化してイメージが膨らみすぎるけれど、
本当は、長い人生の中でいいも悪いもないなら、ただ起こっているだけで、
意識を、ヨガの先生の言うマニプーラチャクラ(丹田)にもっていくこと。
空気を吸って、吐いて、横隔膜を動かして、
自分は、生きているって感じることが、これからも大切なように思いました。
よしもとばななさんの本にこんなにもひきつけられたのは、
本の主人公は、すごく周りの調和を保つ才能があって、素敵ですが
その主人公の母親は、私にそっくりなのですね。
思ったことが、相手がどう感じるか分らずに、全部口から出ちゃうとか。
言葉は言霊だって、本当の意味で分かるようになってきたから、
話すときは相手の立場で考えなくちゃって思うようになってきたら、
話さない沈黙でもいいかなって思えてきて、四角が六角形になった気がしています。
別に言わなくてもいいんだなあ。
そのさじ加減が少し理解できました。
そんな不器用な、おそらくは人間でいるのが結構きついと思う種族は、
人間だからこそ、言葉で言い合おうって思っている思い込みがなくなって、
植物みたいでも伝えることができるんだってなんとなく安心したのです。
みんな丸がいいって思っているかもしれないけれど、
死んだら丸になるかもしれないけれど、
生きているうちは三角も楽しいと思う。
それはエゴではなくて、その人がこの世に生れてくる意味だと思うのです。
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