三浦の田んぼ開墾と田植え&千葉の田んぼ
2010年 06月 08日
休みは田んぼ作業!
日曜日は三浦半島の田んぼの開墾と田植えをしました。
田植えに使った稲は千葉で育てた種もみ。
三浦の田んぼの中に苗床を作って1ヶ月でこんなに成長していました。わお~

気温との絶妙のバランスから、こんなに立派な稲になってくれました。
三浦の地で、お母さんの種もみになってくれると思うと頼もしい限りです。
~三浦の田んぼ~
縄文田んぼ作り~子供のように無心で楽しんでいる



ミレーの絵のよう。

田んぼに響く「大地の歌]

今住んでいる池袋の自宅の近くに御岳神社があります。
毎朝犬の散歩で通ります。
たくさんの人がこの神社で手を合わせて祈る姿を目にしています。
池袋に越してこなかったら、見ることができない「日本人の信仰心」を知ることができました。
手を合わせている時の顔は、どんなに悩みがあっても真顔です。
田んぼの開墾や田植えをしている時の顔も同じです。
皆真顔になれる時なのだと気が付きました。
毎日24時間、いろいろな顔を持ちながら生きていて
苦しかったり、悲しかったり、怒ったりしているけれど
神社の前で手を合わせている時
田んぼで働く時は
同じ顔になれる。
それは、目に見えない大きな力に自分を預ける
生かされていることを感じることにつながっているのかもしれません。
さて、千葉県の田んぼです。
今年で2年目、冬期たん水不耕起の効果がじわじわと感じられました。

田んぼの水面を覆う藻
藻の繁殖力に押されて倒れている稲もありました。
でも、ほとんど雑草や水草が生えていないのです。
草取りは夫婦二人で40分で終わりました。
昨年の半分の時間です。
冬期たん水不耕起栽培にすると
田んぼ作業で一番大変な草取りがこんなにも楽になるのだと実感しています。
そして、こんな貝も田んぼで見つけました

田んぼにハマる人とハマらない人がいるらしい。
私たち夫婦は、ぴったりと田んぼにはまってしまったらしいな。
「労働は生きがい」という「失われた時」を求めているのかもしれない。
日曜日は三浦半島の田んぼの開墾と田植えをしました。
田植えに使った稲は千葉で育てた種もみ。
三浦の田んぼの中に苗床を作って1ヶ月でこんなに成長していました。わお~

気温との絶妙のバランスから、こんなに立派な稲になってくれました。
三浦の地で、お母さんの種もみになってくれると思うと頼もしい限りです。
~三浦の田んぼ~
縄文田んぼ作り~子供のように無心で楽しんでいる



ミレーの絵のよう。

田んぼに響く「大地の歌]

今住んでいる池袋の自宅の近くに御岳神社があります。
毎朝犬の散歩で通ります。
たくさんの人がこの神社で手を合わせて祈る姿を目にしています。
池袋に越してこなかったら、見ることができない「日本人の信仰心」を知ることができました。
手を合わせている時の顔は、どんなに悩みがあっても真顔です。
田んぼの開墾や田植えをしている時の顔も同じです。
皆真顔になれる時なのだと気が付きました。
毎日24時間、いろいろな顔を持ちながら生きていて
苦しかったり、悲しかったり、怒ったりしているけれど
神社の前で手を合わせている時
田んぼで働く時は
同じ顔になれる。
それは、目に見えない大きな力に自分を預ける
生かされていることを感じることにつながっているのかもしれません。
さて、千葉県の田んぼです。
今年で2年目、冬期たん水不耕起の効果がじわじわと感じられました。

田んぼの水面を覆う藻
藻の繁殖力に押されて倒れている稲もありました。
でも、ほとんど雑草や水草が生えていないのです。
草取りは夫婦二人で40分で終わりました。
昨年の半分の時間です。
冬期たん水不耕起栽培にすると
田んぼ作業で一番大変な草取りがこんなにも楽になるのだと実感しています。
そして、こんな貝も田んぼで見つけました

田んぼにハマる人とハマらない人がいるらしい。
私たち夫婦は、ぴったりと田んぼにはまってしまったらしいな。
「労働は生きがい」という「失われた時」を求めているのかもしれない。
by kisan35
| 2010-06-08 20:51
| 田んぼ

